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わが家の趣味空間

「大江戸おもしろ雑学~江戸幕府が終わった3つの要因」①

更新日:2017年3月22日

みなさま、こんにちは
今回は京屋かつら代表 京谷武弘先生の
「大江戸おもしろ雑学~江戸幕府が終わった3つの要因」をお送りします

先月2月のことですが、私は出張で東京へ行きました
私が生涯で出張することはないと思っていました・・・
東京ギフトショー出展(東京ビックサイトで開催)のために出張しましたが
(徳川家康はこの東京湾を見て「水の豊かな江戸で町を造るぞ!」と
思ったのだろうか)と「江戸」に想いを馳せ、自ら奮起しました

江戸幕府が開かれた時、「四神相応(しじんそうおう)」という
古代中国の陰陽五行説に基づく考え方で江戸を本拠地としたそうです
いわゆる風水で大吉の地相だったとのこと、
北に「玄武の宿る山」がある土地は栄えると言われ、それが富士山だそうです

さて本題の「江戸幕府が終わった3つの要因」に移ります
1.『黒船来航』
 みなさまご存知の、1853年アメリカの使節ペリーが神奈川県浦賀沖にやってきた
 「黒船来航」です
 最初「水・食料の補給に来た」と言っていたそうですが、本心は嘘
 植民地目的の開国でした・・・
 
江戸幕府は約265年間、鎖国をしていたのは近隣諸国の植民地化を目の当たりにし
それを恐れていて開国しなかったと言われています
江戸幕府は鎖国していても、貿易はそこそこしていたそうです

ペリーは1854年幕府と日米和親条約を結び
下田(静岡県)と函館の2港を開港しますが、これはアメリカ有利でした
その後、下田に来たハリスが大老の井伊直弼と日米修好通商条約を結びます

長崎のグラバー邸で有名で、薩長などを裏から支援したグラバーは
イギリス人の武器商人、ロスチャイルド系のマセソン商会の代理人だそうです
イギリスが中国を支配したタイミングで日本へ来て、
日本にも内乱を仕掛けるために長州藩士の留学を手伝ったり
坂本龍馬をけしかけたりしているのこと
グラバーはそういう人だったのですね・・・

では江戸幕府が終わった3つの要因の残り2つは次回お送りします

このたび名古屋木材のホームページが新しくなり、ブログもリニューアルしましたが
以前のブログも是非、ご参照ください
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